花子の黒沼夫妻との出会いは、今から7年近く前。
当時、私たちNeem Treeのアトリエは、まだ等々力8丁目にありました。
ご近所には、16年間この地で愛された無垢材の家具と生活雑貨のお店「巣巣」さんがあり、店主の岩崎朋子さんがおすすめのお店として教えてくれたのが、巣巣さんの程近くに移転してきて間もない花子さんでした。
店構えを見た瞬間、好きだと思いました。ぬくもりのある木のドアと、お店の前に並ぶ、伸び伸びと居心地よさそうな草花たち。こじんまりとしているのに存在感を放っていて、道行く人の目を引きます。
扉を開けると清涼感のある香りに包まれ、思わず深呼吸したくなりました。
そして、眼前に広がる美しい花畑のような空間に、目を奪われました。
以来、撮影用に、自宅用に、記念日や贈りものにと、お花をお願いするように。
くろちゃん(夫の黒沼康雄さん)のセレクトするお花と妻の黒沼えいこさんが作り上げるブーケやリースのセンス、おふたりの仕事へのまっすぐな姿勢、魅力的な人柄にどんどん惹かれていき、気づけばアミカレー(世田谷区弦巻のIndian canteen AMIさん)を夫婦4人で食べに行ったり、家族でキャンプに行ったりする仲になりました。
緊急事態宣言発出前の3月13日。
大好きな、花子の黒沼夫妻に会いに行ってきました。
「お店に入ると、いつもいい香りがするよね。ユーカリかな?」と問いかけると、えいこさんがいつものやさしい笑顔で答えてくれました。
「少しずついろいろな草花の香りが混ざり合っているみたい。よくお客さんもいい香りがすると言ってくださるのだけど、自分たちは気づかないの。私たち自身がここの一部という感じだからかな」
花子のお店がえいこさんたちご夫婦の一部、ではなく、えいこさんとくろちゃんが花子の一部。
えいこさんらしい感性で素敵だな、と思いました。
以前は神奈川でお店をやっていたふたり。縁もゆかりもなかったという世田谷等々力でお店を始めたのは、なぜでしょう。
康雄さん 前のところを出なきゃいけないということもあって、店をやりながら6年くらいは探していたんです。夜、店が終わった後、物件を見に行ったりして。
えいこさん なかなかこれだ!と思える出会いがなくってね。でも、ある日突然、くろちゃんがこの場所をネットで見つけてきたの。それでふたりで見に来たんだけど、ちょうど道路の向こう側からお店を見たとき、あ、ここだって思った。見た瞬間に、ここで自分たちが働いている姿が想像できたの。
物件を選ぶうえで、特別強いこだわりがあったわけではないけれど、駅前や駅近くの立地は考えていなかったそうで、そこもピタリとはまり、即決したのだそう。
えいこさん 人通りが多いと自分たちのペースで仕事ができないと思ってね。あえて駅から離れている場所ばかり見ていたよね。
康雄さん あと、えいちゃんのおばあちゃんが“この方角にした方がいい”って言い出して。それで、もとは横浜の方で探していたんだけど、こっちの方角にしぼって探し出したらここが見つかったんだよね。
えいこさん その話、ときどきくろちゃんが話すけれど、おばあちゃん全然覚えていないの。うちのお母さんも、“そんなこと言ったっけ?”って言ってる。私も全然覚えてない。
康雄さん オレの妄想(笑)?
えいこさん ここを見る前に、決めかけていた物件もあったのね。実家の近くでいいかな、と思ったんだけど、何となく、そこでやっていくことがイメージできなかった。その直後にここが見つかったから、意味があるよね。当時はお腹に娘もいて、大きなお腹を抱えて物件探しをして、オープンの約1ヵ月前に出産。そこから7年間、花子のお店も娘と一緒に育ってきたから、忘れられない日々。
移転前とは、客層も、くろちゃんが選ぶお花の種類も変わったそうです。
康雄さん ご自分用に買われる方も多いのですが、ギフトとして選ばれる方も多いのが印象的でした。大切な人に贈ったり、亡くなった人に贈ったり。みなさん、いろいろな場面でお花を贈られていますね。市場で選んでくる花も変わりました。移転前は仏花なども仕入れていたけれど、今は、自分が好きな花、自分が売りたい花を並べています。ずっとやりたいと思っていたことを、ここへ来て全部しました。
えいこさん お客さんとの会話も増えたよね。月に2回、決まってご自宅用のお花を買いに来てくださるお客さんがいらっしゃったり。暮らしの中に花があるのが日常になっているんだな、とうれしくなるよね。
康雄さん うちだってそんなに花を置けるスペースがあるわけじゃないけど、一輪挿しにちょこっと活けるだけでも変わるもんね。
えいこさん そうそう。洗面所に葉っぱ1枚あるだけでも和むよね。お花屋さんで買わなくても、庭先の草花を切って飾るだけでもいい。それだけで生活が豊かになる。
「植物との暮らしをより身近に感じてほしい」という思いで始めたえいこさんによるお花のレッスンは、毎回キャンセル待ちが出るほどの盛況ぶり。店内で行う7名程度の少人数制で、季節の草花でブーケやリースを作っています。
えいこさん 参加してくださる方の約8割はリピーター。みなさん口々に「月に一度、ここへ来てお花に触れる時間に癒される」と言ってくださるのがありがたいなぁって。レッスン中は、みなさん黙々と、集中してお花と向き合っていて。おうちのこととかお仕事とか日々忙しくて、普段、静謐な空気に包まれながら何かに取り組むことってなかなかないものね。だからここでの時間が特別な時間になっているみたい。それも、レッスンをしていてうれしいことのひとつになっているなぁ。
「お花を通して、お客さんたちに何を感じてもらいたいですか」と問い掛けると、くろちゃんが言いました。
康雄さん 花ってそれだけで力を持っているから、自分たちがどうこうしたいというのは、あまりないですね。買った人やもらった人が、それぞれ感じてくれたらいいな、って思ってます。
えいこさん ありがたいのは、実際にお客さんの感想をお聞きする機会に恵まれていること。うちでは贈答用のお花をご注文いただくと、送り主のお客さんに相手先にお送りしたお花の画像をメールするようにしているのね。すると、わざわざにお返事をくださるお客さんが結構いらっしゃって。
康雄さん そうだね。そういうお客さんのメールから、いろいろ感じてくれているのが伝わってくる。
えいこさん 最近だと、“お母さんのお誕生日に毎年お花を贈っているけれど、ここまでよろこんでくれたのは初めてで、花子さんにお願いして本当によかった”って、ていねいな返信をいただいたの。なんだかんだ休みの日も仕事をしている感じだし、肉体的にしんどいことも多いけれど、こういうことがすごく励みになってる。
「夫婦でこんなふうに思いを共有しながら会話できるのって素敵だね。ふたりはよく話し合ったりしているの?」と訊くと、くろちゃんは「ときどきね」、えいこさんは「たまにね」と言いながら笑いました。
そんなふたりに、未来のことを聞いてみました。
えいこさん 私はあまり固執していないんだけど。くろちゃんは、どう?
康雄さん 花に携わっていたいというのはあるんですけれど。時代の流れによって花の必要性とか、形態は変わってくると思うので、そこに逆らわず。あとは自分たちの行きたいところややりたいことに素直に、進んでいければいいですね。愛着はあるけれど、ここにこだわっているわけでもないので。
えいこさん 少し前に、休み中、店を片付けようってなったの。自分たちの中に余白を作っておきたくて。いつでも自分たちが動けるように、ある日突然遠くに行ってもいいように。
康雄さん 店も7年経つといろいろと増えちゃうから、今日やろうって無理やりやったんだよね。
えいこさん そう。片付けたら、仕事も整っていくだろうとも思ってね。そうやって店を片付けて、さらに家も片付け始めたら、ものすごいゴミの袋が出て。自分の必要なものって、そんなにないんだなって思ったよ。未来についての質問とは少しずれちゃうかもしれないけれど、いつだって、身軽でいたい。そして、循環させていきたいって思ってる。
康雄さん 花も常に循環しているしね。花を入れ替えてるとあたらしい気持ちになるから、まったく飽きない。週に3回は仕入れているから、そのたびに“ニュー花子”になってる。そういう意味では、お店も自分たちも、常に未来を向いているのかもしれないね。
余白をつくる。
身軽でいる。
循環させる。
仕事でも、家族3人の生活でも、黒沼夫妻が大切にしていることです。
ああ、なるほどと思いました。
どんなに忙しくても、心がザワザワしていても、花子の扉を開けるとスーッと気持ちが軽くなり、ちょっとおしゃべりして、お花を包んでもらって、帰る頃にはすっかり元気になっている理由がわかりました。
植物の力ももちろんあるでしょう。
それに加えて、花子のお店そのものが、訪れる人の循環を促す装置のような役割を担っているのだと感じました。
好きな場所へ、思うままに出かけることが難しい日々が続いています。この記事の写真を見ながら、今、花子のお店にはどんな花が並んでいるのだろうと思いを馳せました。
そして、またお店を訪れて、あの芳しく爽やかな香りに包まれながら、草原で花を摘むように花選びをしたいと思いました。
花子
所在地:東京都世田谷区等々力7-11-8-101
TEL&FAX:03-6670-8738
営業時間:10:00~19:00(祝日は18:00まで)
定休日:日曜 他不定休あり 詳細は営業日カレンダーをご覧ください。
【HP】https://www.hanahanahanako.com
★新型コロナウイルス感染拡大防止のため、営業日営業時間を変更して営業中。
店舗営業日 水〜土 10:00〜18:00
「おうちで楽しむ季節の草花ブーケ」など、オンラインショップでのお買い物もお楽しみください。
写真/矢部ひとみ 取材・文/羽田朋美(Neem Tree)